誕生日を祝うということ

 2年前に亡くなったお義父様の誕生日のお話しです。

 

生前、ケンタッキーを食べたいときには

 ”たまには若いもんにお土産もってこないとなぁ”

なんて言って自分が食べるための口実としつつ、

私たちにもよく買ってきてくれました。

 

まだ小さい子供たちにジャンクフードはあまり食べさせたくない私だが
そんなことを思い出しつつ、ケンタッキーを買って帰った。
たまたま仕事も早く切り上げられたので、子供たちを迎えに行く前に
お線香をあげにケンタッキーのおすそ分けをもって母屋に行った。

すると、お義母さんはケーキを作っていた。
ご飯はチキンライスにしたの。とお祝いムードだ。
だからといって、みんなでご飯を食べようとはならない。
これはあなたたちの分。と、すでにパック詰めされたものを手渡された。

私なら、

せっかくだからみんなで食べよう♪ となるところだが(汗)

 

帰り際に、聞いてみた。

"今日、ハチはお線香あげに来ましたか?"

"こないわよー。ほら、うちは誰かの誕生日だからって何かする家じゃないもの"

 

ハァ。デタヨ。。。(´Д`A;)


私が育った家も、誕生日だからって何かする家じゃなかったですよ?

でも、それとこれとは違くないですか?

っていうか、じゃ、なんであなたは今日、ケーキを作ったのでしょうか?

いつまでこの人は、馬鹿息子にこんなしょーもないフォローをしていくのでしょうか?

そうやってさらに馬鹿息子は馬鹿になる。。。


と脳内発言をしていると、さらに疑問に思った。


もし、お義母様が言うように、

誰かの誕生日だからって何かをする家じゃなかったのなら、

亡くなってからの方が誕生日がこんなに豪勢というのも、不思議でならない。

 

もちろん、亡くなってからも祝うという気持ちは立派なもの。大切なもの。

 

でも、どうせなら生きてるうちから祝おうよ(汗)

 

お互いに顔を合わせることができて、
言葉を交わすことができて。
そんなときからちゃんと言おうよ。

 

誕生日おめでとう!
生まれてくれてありがとう!

 

それだって、365日に1回しか言えるチャンスはないんだから。